SUBARU HISTORY 1/4:SUVの先駆者スバル

2015.9.1

    • オーバータイム
    • スバル
  • 北米をはじめ、全世界での販売台数が過去最高を記録するなど、今絶好調の富士重工業・スバル。水平対向エンジンと4×4システムを組み合わせた伝統の「シンメトリカルAWD」で独自のポジションを築き、今や全世界的なトレンドとなったクロスオーバーSUVのパイオニアであることは誰もが認めるところだろう。スバルの人気の秘密を探るべく、技術のスバルとしてアクティブトルクスプリット4×4や運転支援システムなど先進テクノロジー分野でも自動車市場をリードしてきたスバル4×4の歴史を振り返る。


スバルSUVの誕生以前

試作車01スバル360。コンパクトなボディーには、元航空機製造メーカーの技術力がつぎ込まれている。

 

スバル誕生(1953〜1971)
飛行機メーカーの技術力

「スバル」ブランドで自動車を生産している富士重工業は、軍用機や軍用機用エンジンを製造していた中島飛行機をルーツとしていることはつとに有名だ。

 

第二次大戦後、中島飛行機は、GHQの方針により富士産業と改称し、スクーターやバス用ボディなどを生産するメーカーに転身したが、1950年に財閥解体の対象となり、各工場ごと15社以上に別会社化されてしまう。

 

しかし、同年には朝鮮戦争が勃発しており、GHQは防共政策として、日本をその補給基地とするため政策を転換。こうした時代背景により、旧中島飛行機グループの6社が再集結し、1953年、富士重工業が設立された。

 

スバルというブランド名が最初に使われたのは1955年の試作車スバル1500からで、CIである「むつらぼし(六連星)」マークは、1958年に登場したスバル360から採用されている。スバルとはおうし座のプレアデス星団のことで、古来日本ではむつらぼしと呼ばれている。むつらぼしマークは、旧中島飛行機グループ6社が合併した会社であることを象徴しているのだ。

 

エンジンや機体の設計・生産で飛行機メーカーとしてのエンジニアリング能力を素地に持っていた富士重工業は、数ある日本の自動車メーカーの中にあって、当初からユニークな存在となった。スバル1500は国産初のフルモノコック車であり、スバル360は機能も居住性も大変優れた軽自動車として大人気となった。そして、1966年に登場したスバル1000では、東洋ベアリング(現TNT)と画期的なダブルオフセットジョイント(等速ジョイント)を開発。国内外のメーカーが何度も断念していたFF車発展の先駆となった。このモデルで採用された縦置き水平対向エンジンのFFレイアウトは、現在に至るまでスバル車のベースとなっている。

 

SUBARU1000スバル1000。FF車の先駆となった。

レオーネ

1st Model(1972〜1979)

スバルSUVの始祖

72_4WDestatevanLEONE 4WD ESTATE VAN
1979年に登場したスバル初の4×4モデル・レオーネ4WDエステートバン。

当時は日産との提携が始まった時期で、エンジニアリングやデザインに日産車から影響を受けている。

 

スバル初の4×4は、1972年9月に登場したレオーネ4WDエステートバンだが、そのスタートとなったのがスバルのディーラーであった宮城スバルが、東北電力のバックアップを得て試作したスバル1000の改造モデルであった。この試作車の開発は、東北電力の社員が夏冬共に使えて居住性の良い作業車がないものか、と宮城スバルの社員に言ったことをきっかけに1970年にスタートした。当時、東北電力は送電線の保守・点検に、通常はバンタイプの乗用車、降雪時はジープと作業車を使い分けており、購入費や維持費、そしてジープの乗り心地や居住性に不満があったのである。

 

1971年2月には試作車が完成し、月山付近でテスト走行を実施。結果は良好で、宮城スバルは富士重工業に量産を依頼することになった。富士重工業はこの試作車のテストと平行してマーケティングを行ったところ、官公庁向けなどの業務用から個人向けのレジャー用まで、幅広いニーズが見込めることが判明。富士重工業はだだちに量産を決定し、その後の開発も大変順調に進んだという。

 

レオーネは、1971年にクーペスタイルのみのFFモデルがまずデビュー。開発中の4×4は、1000の後継モデルであるff-1 1300Gバン4WDに搭載されて同年の東京モーターショーでお披露目となり、注目を浴びた。そして、翌1972年9月、量産モデルであるレオーネ4WDエステートバンがいよいよ追加モデルとして投入されるのである。

 

71coupe1400GL1971年にデビューした初代レオーネ。当初はFFクーペのみであった。

 

leone_gateリアゲートは上下開き。
シートはヘッドレスト一体型で、バンモデルだったこともあり、内装は簡素。

 

初代レオーネは1,361cc水平対向4気筒OHVエンジンを搭載。サスペンションは、フロントにマクファーソンストラット、リアにセミトレーリング式が組み合わされた。4×4システムは副変速機のないパートタイム式で、レバー操作でFFから切り換えを行った。

 

レオーネ4WD以前にも、ルノー4・サンパやジェンセンFFといったクローズドボディーの乗用車スタイルの4×4は登場していたが、高価格やオンロード性能重視の設計がネックとなってその有用性が認知されず、いずれも短期間で姿を消している。一方、レオーネ4WDはオフ性能とオン性能をバランス良くミックスさせたクルマ、つまり現在のSUVが目指すコンセプトをいち早く具現化したエポックなモデルであった。

 

しかし、高い評判にもかかわらず、レオーネ4WDも当初の販売は意外に伸びなかったという。やがてスバルの代表的モデルとして成長するが、富士重工業のエンジニアであった自動車評論家の故・影山夙(はやし)氏は、『スバルだけ生き延びることができたのは、FFモデルとのライン共有化や余計な装備を追加せずに原価低減に務め、販売価格を79.8万円に抑えたことも大きく影響したものと思う』と自著で語っている。

 

1975年には4WDセダンを投入。セダンタイプ4×4としては世界初のことであり、4×4の認知が一般的に広まって来たことを裏付けるモデル追加となった。その後、排ガス規制強化によってレオーネ全モデルにエンジンの仕様変更が進み、1977年4月にはビッグマイナーを実施。フロントまわりの変更とボディーの拡大が施され、内装も変更された。同年には、ピックアップモデル「ブラット」が海外市場に投入された。

 

leone_inst初代レオーネのインパネ(FFモデル)。非常にシンプルなデザインだ。

 

leone_usa北米の小型ピックアップ市場をメインターゲットとして投入されたブラット。

北米へは高関税を避けるため荷台に後席を設置し、乗用車として輸出された。