【ランクル紀行】難波 毅

2015.8.14

    • 四輪駆動車
    • トヨタ

トヨタカントリーで出会ったランドクルーザーたち

 

今まで2回にわたって、ランドクルーザー3台を日本から持ち込んでの2カ月間のオーストラリア旅行記を掲載してきた。今回はその間で出会ったローカルのランドクルーザーの様子を報告する。

 

オーストラリアは国土の7〜8割が「アウトバック」と呼ばれる乾燥地帯だ。人が暮らすには過酷な環境もあるが、多くの羊や牛の大規模放牧牧場、 各種鉱山、国立公園があり、アボリジニ(※編集部補足:オーストラリアの原住民)の土地も広く存在する。そして、そこではあらゆる場面でランドクルーザーが活躍しているのだ。アウトバックが今でも「トヨタカントリー」と呼ばれ続ける所以でもある。

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4月19日
アリススプリングスからシンプソン砂漠を横断してクイーンズランド西端のバーズビルに着いた。翌日朝、キャンプ場の前の交差点の真ん中で立ち止まり何やらおしゃべりするランドクルーザーHZJ105と200。日曜の朝だったし、そもそもアウトバックの小さな町、交通量も少なくどこに車を止めようと誰も気にしない。

 

シンプソン砂漠は風向きがほぼ一定しているので砂丘列は東斜面が急になっている。そのため急な斜面を下るようにアリススプ リングス方面からバーズビルに向かって東に横断するのが一般的だ。しかし経験者はだんだんと飽き足らなくなり、敢えて西向きのコースを選択することも多い。このHZJ105も西向きに横断するということだった。

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4月21日
バークリーホームステッドのキャラバンパークで朝を迎えた。登ってきたばかりの朝日に照らされる105型を改装したダブルキャブピックアップ。荷台にはトレーラー用の大きなカプラーが固定されていて大型のキャンピングトレーラーをけん引していた。

 

ステーションワゴンをこのようなピックアップに改装することはポピュラーで特に鉱山でよく使われていた。オーストラリアでは「ユート」と呼ばれる、79ピックアップよりも居住性、乗り心地が断然いいと人気だ。

 

それにしてもせっかくの荷台は大きな連結装置が独占していて、ほかに使うには不便だろうに…荷台がもったいないな…、などと心配するのは島国の人間だからだろうか。

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4月23日
ブッシュから出てきてノーザンテリトリーのキャサリンへ向かっていた。道路の舗装工事が行われていて赤信号で止まった。信号機の脇には何気なく1台の79ユートが置かれていた。荷台には水タンクやコンプレッサーなどが載せられている。土ぼこりを抑えるために散水するときにでも動かさえるのだろうか。まさに動く道具箱のような使われ方をしている姿が妙に雰囲気があり、アウトバックにぴったりの光景だった。

20150426_D3S87434月26日
キンバリーの東の玄関口である西オーストラリア州カナナラの町は、走っているクルマの中でのランドクルーザーの密度がオーストラリアで一番といっても過言ではない。しかし、訪れたのは「アンザックデー」というオーストラリアの国の祝日当日。第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵士たちと、当時国のために尽力した人を追悼するための祝日で、町の交通量は激減。いつもは身動きができないほど混雑するショッピングセンターの駐車場もガラガラだった。

 

しかし、そこで珍しい車を発見できた。ランドクルーザー70系のショートホイールベースモデルである。ヘビーデューティ系のショートモデルは、1985年から10年間しか発売されておらず、20年も経った今見かけるのは極めて稀なことなのである。

20150426_D3S87544月26日
さらに同じ駐車場で発見したレアな車。150系プラドのショートホイールベースモデルである。日本では発表当時からロングモデルしか発売されていないが、オーストラリアなど一部の海外マーケットでは155型ショートモデルがラインアップにあった。現在ではオーストラリアでもロングモデルしかないので初期モデルである。

20150426_D3S88804月26日
ギブリバーロードがペンテコスト川を横断する地点はキンバリー地方の道路景観の中でもっとも美しい場所といわれている。コックバーン山地独特の山容を背景にする渡河シーンは岩肌が夕日に焼ける夕方がひときわきれいだ。

 

乾期になっても水がなくならない川を渡ってきたVDJ79ダブルキャブユートは、大きなモーターボートを載せた長いトレーラーを引いていた。バラマンディ(※スズキ科の大型魚)でも釣りに行くのだろうか。

20150430_D2X01054月30日
線路保守の専用道を走るVDJ79。西オーストラリア州ピルバラ地方は鉄鉱石の世界的産地。中でもトムプライス鉱山は世界的資源メジャーのリオティントが運営する世界最大級の鉄鉱山である。内陸の鉱山から積み出し港までは600㎞の専用鉄道で輸送されるがその規模も半端なく大きい。3両連結のディーゼル エレクトリック式大型機関車に引かれるのは240両ほどの鉄鉱石を満載にした貨車。その長さは2㎞を超す。こんな長大な貨物列車が1時間に数本、24時間で運行されている。

 

鉄道は複線だが上り下りを分けるためではない。一般的な複線の使い方ではあまりの運行頻度のため、線路の保守をする時間が 取れない。そこである区間を閉鎖して集中的に保守をするのである。鉄路脇には専用の道路があり、保守のために車両が行き来するが、許可さえもらえば一般の 観光客も通行できるのである。点在するコミュニティを結ぶ道路は少なく、保守専用道もロードトレイン(※大型のトレーラーを複数台連結するトラック)が走る重要な交通インフラのひとつとなっている。

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4月30日
保線作業員は、遠くにある基地から一般の舗装道路を走ってきて、未舗装の線路保守道路に入ってその日の現場に向かうというパターンが多い。この日も舗装道路を走る鉱山会社のランドクルーザーがたくさん見られたが、この車は後が2軸に改装されていた。あとから現場で確認したが、2軸ともデフがあり6輪駆動仕様だった。積載重量を増やすためにデッドアクスルを付加した6×4タイプは多く見るが6×6は珍しい。

20150430_D3S93524月30日
これも鉄道保守用の特装車で「ハイレール」と呼ばれる軌陸車である。ランドクルーザーのトレッドは標準軌の線路幅とうまく合っているためかオーストラリアの鉄道ではよく見かける。この車はさらにキャブの長さが延長されたキングキャブ仕様に改装されていた。こんな大男が乗るのだから標準のキャブでは窮屈なのはすぐわかる。

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5月1日
トムプライス周辺では、鉱石を積んだトレーラーを3両連結して走るロードトレインが道を独占する。この日はそんなロードトレイン2編成とランドクルーザーを載せて同じ方向に向かうトラックの後ろについた。積まれていたVDJ76は鉱山で使われているもので、トムプライスから鉱山へと向かう途中だった。 ほとんどの点検や整備は鉱山のデポで行われるので、よほど大きな修理をしたのかな…などと考えながらシャッターを押していた。

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5月3日
トムプライスの町中で見かけた70系2台。手前のユートは2009年のモデルチェンジ前の顔で後ろの4ドアワゴンはV8ターボディーゼルエンジンを搭載した現行モデルである。古いモデルの70系もまだまだ現役で頑張っている。ブルバーの上の無線用アンテナとレンズカットのまったくない素抜けのドライビングライトがいかにもアウトバックらしい。

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5月3日
数日前にハリケーンが大陸西岸を襲い、内陸のトムプライスでも大雨が降った。ダートの道は一瞬にして赤い泥の海へと変わる。鉱山に休みはなく、そんな状況でも容赦なく使われるので雨が上がればこの姿。赤土のコーティングは水洗いでは完全に落ちなくて、ボデーィは長い間に赤っぽく染まってくる。 

 

鉱山で働くクルマは巨大ダンプからでも識別されやすいようにリアコンビネーションランプと黄色の回転灯が屋根に装備される。さらに赤い三角形の旗を付けたポールも取り付けられる。リアのダブルスペアタイヤマウントもポピュラーである。

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5月6日
西オーストラリア州西岸のシャークベイのキャラバンパークで出会ったVDJ200。遠くニューサウスウェールズ州から家族で旅をしていて、偶然数日間の行程がわれわれと同じだった。小さな子供がいる若いカップルが、こんなに大きなキャンピングトレーラーを高価なランドクルーザー200で牽引して旅をするというのはこれまたレアである。

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5月18日
旅の最後にエアーズロックに向かう途中、スチュアートハイウエイの行く先遠くに土ぼこりが盛んにたっていた。近づくと牛の群れを移動させている最中で あった。後ろから群れを追い立てるのは75ユート。2台で挟んで牛を誘導していた。一般的にはブルバギーと呼ばれるショートホイールベースモデルの40か 70が使われることが多いが、ここではユートがその役割を担っていた。道路のない牧場内を走るのは、クルマにとっても人にとっても想像以上に過酷なことであるが、ドライバーはわれわれと目が合うや親指を立ててニヤリ。「G’Day mate!」の世界である。(※オーストラリア英語は単語の中のaをアイと発音することが多く、G’Day mate!は「グッダイ・マイト!」という感じとなる。親しみを込めた挨拶として大変よく使われる言葉)

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5月21日
旅も残すところ10日ほど。ノーザンテリトリーから南オーストラリア州に入ったところのロードハウスで見かけた75ユート。写真を撮っていると建物の中からオーナーが出てきた。近くの牧場で働く「リンガー」、いわゆる「カウボーイ」だそうで、この車は1984年式のHJ75で「オドメーターは2回転した よ」という。メーターを見ると40万㎞。ということは通算240万㎞も走ってきたのか…。「2回転目」としても140万㎞。大したものである。

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その車内は長い間の土ぼこりがこびりついた仕事空間となっていた。すべてが純正でUHF無線機以外は何のアクセサリーもない。日本で点検に出せばいろいろと修理や補修が必要となる個所がたくさんあるのだろうが、そんなことはお構いなしに走り続けている様子がひしひしと伝わってきた。

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5月24日
南オーストラリア州のワイン名産地バロッサバレーでは、日曜日のフリーマーケットをのぞきに行った。朝から地元の人が種々雑多なものを会場となっている 競馬場に持ち寄ってきていた。このランドクルーザーFJ40はワイパーの位置から判断して1975年以前のモデルだ。これも出品するのかと思ったが、さにあらず出品物を積んできたとのこと。まだまだ現役だった。

 

2カ月間大陸西半分を回っていろいろなランドクルーザーに出会った。そのほとんどが生活の道具として酷使されていて、なんのアクセサリーもない素っ気ないクルマが大半であったが、そこには機能美があった。

 

「日本で生まれ、オーストラリアで育った」といわれるが、それがなければ生活ができないところで道具として使い倒されているランドクルーザーからは、見る者も幸福にさせるオーラが出ているような感じがした。